上演予定作品の解説

タイトル「身体にきくシリーズ 祈り」

 身体にきくの「きく」は、「訊く」「聴く」でもあるし「効く」と言う意味でもあります。また「占う」と言う意味をも含んでいます。
 だから、「身体にきく」と言うのは、役者が深く内省し、自らの身体の奥の闇に向かって問いかけ、そうして身体からの返答を聴く。その行為を言っているつもりなのです。
 そして、そういった作業は、ちょうどアクビが側で見ている人に移るように、或いは梅干しをしゃぶっている人を見ると自分も唾が出て来る時のように、役者の体験している身体の実感がリアルタイムに見物に移って、それは結構「効く」んじゃあないだろうか?
 いわゆる従来の新劇では知的共感、感情的同化、あるいは異化を、舞台表現の目的として来た。生理的な感覚とか、もう少し抽象的な身体的な実感の伝搬は、その不随意的な部分として、演出家はあまりその領域に踏み込まなかった。1〜2カ月の稽古で役者の生存の様式を自覚させ変革を迫ることは不可能ですから。役者の個性に付されていた。
と言う大胆不遜な思惑があるわけなのです。
 勿論何を移したいかが問題ですが、今回は「祈り」という、神への問いかけ、すがるような思い、人間だけの特質であるところの「祈る」という行為の身体的実感を、宮澤賢治やベケット、石原吉郎の言葉を語ることで体験しようという試みになりました。
 ですからこの舞台(パフォーマンス)は、演劇と言うよりも「音声を発する舞踏」、或いは「祈り」と言う行為の内容からすれば、「神楽,巫女の舞」の現代版と言った方が分かり易いかも知れません。
 果たして、生理的な感覚と同じように、もっと抽象的な「祈る」と言う身体的な実感が伝搬するのか?
それ以前に、役者は、見物の前で「振り」をする以上の行為を演技の中核に据え得るのか?
 ともかく、場内に一瞬でも祈りが成立し、神が降臨されんことを願うばかりです。


構成・演出  濱本達男

出演    八尾せつ子
      大崎美穂
      管野祐子
      市川せうぞー

スタッフ  島田美菜子